Vol.1: DIR EN GREY & Plastic Tree ライブレポート
刊行のあいさつ
渡邉清文
みなさん初めまして。または、おひさしぶりです。秋の文学フリマに出店した「V系SFの店」です。中心メンバーによる、ニュースレターを発行することにしました。月1回程度の、マイペースな発行を予定しています。
あらためて自己紹介させていただくと、V系SFの店はV系SFのアンソロジーを製作する集団です。2023年9月にファーストシングル『絶唱』、11月にファーストアルバム『漆黒の熱量』を発行し、大阪と東京の文学フリマに出店しました。いまはBOOTHに通販ページ『V系SFの店』を開設しています。『漆黒の熱量』、『絶唱』ともに取り扱っております。未読の方は手に取っていただけると嬉しいです。
V系SFとは? と問われたら「広義のV系音楽をモチーフにした広義のSF」と回答するように、想定問答集が用意されています。この答えでイメージが自動的に浮かぶ人にとっては説明不要なのですが、意味が分からないという人に対して、言葉を費やせば理解してもらえるものなのか幾分あやしいところがあります。このニュースレターではそんなV系SFについて考えたり、音楽や小説などを紹介していきます。
今回の記事は以下の3本です。
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生成AIが夢見る拷問器具 DIR EN GREY ライブレポート(佐藤久)
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Plastic Tree 年末公演2023 ゆくプラくるプラ ライブレポート(真壁潜熱)
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告知
DIR EN GREYのライブレポートを執筆した佐藤久は、人形の体の一部を使う『擬人体』という手法の演劇を手掛ける演出家。ファーストアルバム『漆黒の熱量』に「戯曲『犠牲、あるいは光の蛇』」というDir en grey「MACABRE」にインスパイアされた作品を寄稿しています。いっぽう『ゆくプラくるプラ』のレポートを担当した真壁潜熱は、Plastic Tree「幻燈機械」をもとにした小説「幻燈の墓標」を寄稿している、ほぼ週一ペースでライブハウスに通う現役のバンギャルです。
生成AIが夢見る拷問器具 DIR EN GREYライブレポート
佐藤久
DIR EN GREY『TOUR23 PHALARIS FINAL-The scent of peaceful death-』
於Zepp Haneda 2023年11月20日(月)
伝説上の拷問器具“ファラリスの雄牛”をモチーフとする11th Album『PHALARIS』を引っ提げた3本のツアーは、2022年6月より、計41公演、1年半の期間を経て終わりを迎えた。筆者はうち16公演に参加したが、パンデミック下での声出し禁止のもどかしさ、声出し解禁の煩悶、マスクの息苦しさなど、自分も蒸し焼きの拷問を受けているかのような感覚を覚えつつ、美しく禍々しいステージに心を奪われ続けた。
Zepp Hanedaのステージ全面を覆う巨大な紗幕。客電が落ち、不穏で美しいSEが流れる。紗幕ごしにギターのDieと薫の姿がかすかに見え、ノイズに近い歪んだツインギターのユニゾンで開演。巨大な紗幕いっぱいに映し出されるCG映像。『PHALARIS』というタイトルの、聖書のようだが絵本のように妙に幼稚な革表紙の本が開かれ、御伽話が始まる。曲はその名の通り「御伽」。不安げな表情の乙女がこちらを見つめる。
下手の端でギターを全身でかき鳴らす薫の後ろを、Shinyaが横切ってドラム台へ向かう。上手には炎のように髪の毛をたなびかせながらギターを響かせるDie。Toshiyaもゆっくりと登場し、立ち位置でベースをテックから受け取り、4人での演奏が始まる。DIR EN GREY得意の重厚で不穏なサウンドが津波のように押し寄せ、観客の足を掴んで深い海の底へ引きずり込む。歌入りの直前に京が姿を現し“絡み縺れ合う煩悩”という、生そのもののような歌詩が飛び込んでくる。
紗幕には、画像生成AIが人間に命じられて描いた、ロシア正教に似た宗教の魔女狩りと拷問、処刑の絵。東欧では比較的緩やかだったとされる魔女狩りと、古代ギリシャの伝説上の拷問器具である“ファラリスの雄牛”が同時に存在する、架空の世界。存在するようなしないような拷問器具。恐竜のような妙ちきりんな竜が描かれ、何度も姿を修正され“ファラリスの雄牛”に近づいていく。時代も宗教も滅茶苦茶だが、一つはっきりしているのは、無垢な乙女が公開処刑されること。ヒトは美しいものや便利なものばかりではなく、拷問器具だって作るのだ。こうしたら苦しむだろうという想像力で。きっとAIに命じて作ることもできるだろう。
映像が途切れて、メンバーの巨大な影が紗幕に映し出される。ヒトの作りしものの果てと、表現者たちの生身の身体のシルエット。ふとしたことで失われる生命をもつ、かけがえのない人の身体。“茨の道でもいい生きてる証を”表現者の身体の影に、決意のような歌が重なる。
1曲目の終わりと同時に紗幕が振り落とされ、メンバーの姿が見える。観客の絶叫が会場を満たし、その絶叫に乗ってまたもや重厚なギターリフがのたうち、フロアはヘドバンの海と化す。それは身体と生命を自覚する儀式だ。救世主の受けた苦しみを共有しようとすることにも似ている。“行けども地獄か”と絶叫し、脳震盪を起こすほど頭を振り、倒れた隣の人を助け起こし、誤って叩いてしまった前の人の頭を撫でさすり、わたしたちは束の間、生きていることを全身で表現する獣の群れになる。京が命を削れと更に煽る。激しい曲で暴れながら“糞どもが”と絶叫することで、癒されるものが確かにある。
『PHALARIS』の曲を中心にセットリストは進む。10分近くある重たい長尺曲に何曲も挑むバンドと観客は、同じ拷問の苦しみを分かち合っているようだった。
苦しみの終わりは、アルバムの最後の曲である「カムイ」で締めくくられる。恐ろしい歌詩が疲れ切ったフロアに響く。
“あと何年ですか? まだ生きるんですか?”
約2時間のライブの最後に長尺の難曲を持ってきたことで、リアルな疲労と時間の経過が曲に説得力を与える。幕開けと同じ画像生成AIの描いた乙女が、ステージ奥のLEDからまたこちらを見つめる。彼女への拷問はいつまで続くのだろう。実写映像が挟まる。振り香炉を左右に振りながら聖堂を進む司祭の背中。ヨーロッパの風景、祈る人。丘の上のロシア十字。欧州ツアーを3月に控えている彼らの、言葉にしないメッセージをつい読み取ろうとしてしまう。砂漠をふらつきながら彷徨う人の列。もう解放してあげてくれ、もう終わってくれという感情がこみ上げる。“時には温もりと安らかな死の匂いを”と優しく歌い終えた京は、いつものようにマイクを投げ捨てて帰っていった。歓声さえ忘れて余韻を噛みしめる観客に、素の笑顔を見せる薫、Die、Toshiya、Shinya。その姿を見て、観客はフィクションの拷問から現実に戻っていく。“お前ら生きてんだろ!?”という京の言葉と、最後に見たメンバーの笑顔の記憶、そして全身の痛みを抱えて、清々しい顔をした人たちが列をなして会場を後にする。それは確かに、日常に抑圧された自分自身を取り戻そうとする観客たちと、ステージで「生の表現」を見せるDIR EN GREYとの、身体と生命を寿ぐ儀式だった。
Plastic Tree 年末公演2023 ゆくプラくるプラ ライブレポート
真壁潜熱
Plastic Tree 年末公演2023 ゆくプラくるプラ〜まひるのうた編〜
於パシフィコ横浜国立大ホール 2023年12月17日(日)
横浜の海に面した、パシフィコ横浜という5000人規模の箱庭の中で、泣いているのか笑っているのか、空に落ちているのか昇っているのか分からない音と光の中を泳いだ。
『ゆくプラくるプラ』はPlastic Treeが毎年開催する年末恒例ライブだ。今回は第一幕が『まひるのうた編』、第二幕が『よなかのうた編』と区切られている。過去には海月(ファンの愛称)からリクエストを募り、ランキング形式で演奏していたが、今回はPlastic Tree自身が考える昼と夜。200曲以上の中から、どんな1日を、ステージの上で見せるのだろう。
ナカヤマアキラのギターの音が色のない絵の具を滲ませるようにステージを染め出すかのような「蒼い鳥」で幕を上げる。「crackpot」のイントロと共に伝播するようなシンバルの音色が、物静かな狂いを予感させる。“Good mornig”。歌う有村竜太朗とナカヤマアキラのコーラスが二重人格者のように重なった。続く「フラスコ」ではイントロのリフに合わせて長谷川正が穏やかに拳を煽り、バックのフラスコの中の植物たちのように、フロアも醸成されていく。
やあやあ、という有村竜太朗のお決まりの挨拶の後は「Paper Plane」フロアも手を叩き有村竜太朗もステップを踏み、紙飛行機の尾のような爽やかなドラムの余韻で、ステージの上に太陽が昇り出す。言葉の中で確かに魚となり、上下左右なく泳ぎ回る「エンゼルフィッシュ」、“行くよ、横浜!”と始まった「ブランコから」では歌詞に合わせてステージとフロアが手を伸ばし合い、「輪舞」でその手を取り、光に目が眩むような曲が続く中で踊る。
暖かな光の中で有村竜太朗がアコースティックギターの天気雨を降らせる「37℃」に浸っていたら、いつの間にか会場は雨に囲まれていたようで、有村竜太朗が傘をさした。ライブでの「雨中遊泳」は、1つの箱の側面に描かれるリリックビデオまで美しい。”目眩の渦の中”で雨に満ちた箱の下方に煌めいた光が、雨が去った後の太陽に変わったかに思えた。すっかり雨に濡れた身体に、「アローンアゲイン、ワンダフルワールド」での胸を指す痛みがじわりと広がって誰かの体温を思い出し、「うわのそら」で寂しさを含んだ晴れ間を私たちは駆け回っていた。
日が暮れ出す。“ゆっくりと時間を下っていきます”という有村竜太朗の言葉で降りていくのは「時間坂」だ。今までのことは全て白昼夢にすぎなかったのだろうか?太陽は空から手を離して落ち、「斜陽」が真っ赤に燃え出して目を塞ぎたくなるほどだ。音源との質感の違いに何の”曲か分からないほどだった。ドラム、ベース、ギターそれぞれが不思議なリズムを奏でて“僕の影法師”という歌詞に像を結ぶ。歌詞に合わせて床を指差す有村竜太朗は、何者かが見えているように視線を動かした。
夜に追い詰められて逃げ場を失ったような感覚を「バリア」は想起させる。いや、仮にそんな記憶がなかったとしても、“放課後 ひび割れたチャイム“、”クラスメート カメレオン はっていたバリア”……言葉の羅列だけで切迫感を覚える。上がり切らない、けれど力強い伸びの有村竜太朗のその声で只管に歌い上げられていく。そして「記憶行き」。大切な過去が今日というまひるに溶けてしまう、始発を待つまでのあわいを最後に垣間見せ、メンバーたちはステージを後にする。
余韻に浸る時間もなく始まった年末公演恒例の土曜プラトゥリ劇場。今回は新作ではなく、オナン・スペルマーメイド氏にフィーチャーした総集編。年に数回しかライブに行けなかった千葉の田舎の高校生だった頃、毎年この茶番劇を観ることも心から楽しみにしていた。不自由さを感じていた高校生は、千葉テレビで放送されていた冠番組を縋るように観ていた。その中に、いつもオナン氏がいた。今年も変わらず笑顔にさせていただいた。映像の後、再び登場したメンバー。有村竜太朗が言葉を詰まらせながらも感謝を告げた。
横浜といえば「赤い靴」。また白昼夢に手を引かれ、「静かの海」では横浜の夜景を彷彿とさせる映像の中で金色の海月たちが魔法で弔われるように浮かび上がる。そして「エンドロール。」に続く。この3曲全て、横浜の風景とリンクしながら、まひるのうた編で歌った軌跡を辿るようで、もしかしたら長い長いエンドロールを、私たちはずっと観ていたのかもしれない。”始まりはエンドロール”。映画の終わりのようにスクリーンに流れるその歌詞の通り、息の長い彼らはその終わりを見据えながら、その枯れない木の下に存在してくれている。
最後のアンコールは変わらぬ狂騒に溶けて包まれる「クリーム」。30分押しで始まったこともあり、僅かなまひるの余韻の中で夜を待つ。さあ夜が来る。木々が最も鮮やかにざわめく、よなかのうたが奏でられ始める。
Plastic Tree 年末公演2023 ゆくプラくるプラ〜よなかのうた編〜
於パシフィコ横浜国立大ホール 2023年12月17日(日)
まひるのうたから短い幕間を経て、エリック・サティのジムノペディとともにPlastic Treeがよなかを奏でにやってくる。
1曲目は「プラネタリウム」。まひるにあれだけ伸ばした手は、届かなかったのか泣き出しそうな声で有村竜太朗が歌い上げる。「てふてふ」では有村竜太朗自身が、ベルベットのような手触りの樹脂製の蝶々のように歌詞通りくるくると舞いながら深い夜に誘う。重厚でありながら解放されるのを待ちきれないような長谷川正のベースから始まるは「ハシエンダ」。電気仕掛けの奇跡に手を取られて踊り出してしまう。
「エとセとラ」ではちょうど今の季節のような、澄んだ音を思い切り吸い込んだ。佐藤ケンケンのコーラスが焼き付いている。そんな冬空の下で”なんかラッキー”とピースサイン交わす「星座づくり」は、天球図の真ん中にPlastic Treeを据え、冬なのに随分暖かだ。一転、全てが極彩色に混ざり合ってしまうかのような「サイケデリズム」で、ステッキを持ってくるくると回す有村竜太朗の手元を追って夢に落ちていった。『まひるのうた編』の「バリア」で流れていた”美しいアリア”はこの歌だろうか?青い照明の中の「アリア」は、ナカヤマアキラのギターの音色の切り替わりに夢の中で目が覚める思いがする。
MCではリーダー長谷川正の挨拶を挟み、夜は更に更けていく。「影絵」で流れる映像の中、風船を持った真っ黒な少女たちが、ホールの壁を越えて抜けて気化していくようで恐ろしいほど気が遠くなる。地面から忍び寄るようなベースの音がざらついた熱を帯びた時始まるのは、今年リリースされた「ざわめき」だ。そのタイトルが明かされた時、その言葉から抱いていた質感とは良い意味で裏切られた、細切れに覚醒するようなこれぞプラ、というロックチューンだ。”踊れますか? 横浜! じゃあもっと踊ろうよ”と熱量にあてられたような有村竜太朗の言葉を合図に始まった「デュエット」の激しく饒舌な圧倒的音楽空間に、どうか木々の歌い手……と祈らずにはいられなくなる。その願いを聞き届けてくれるのだろうか、狂騒の後は佐藤ケンケン作詞作曲による「月に願いを」。椅子に座り、静かな激情をぶつけるように上半身を折りながら1音1音に力を込めて歌っている。ホールの壁には月が昇り、歌詞に合わせたかのように雲がそれを時折覆い隠した。
メンバーによるMCで夜が俄かに解れ、こちらもプラの真骨頂ともいえるロックチューン「瞳孔」で、夜を突き抜けていく。行き着いたその先で生きながら死を見つめる自分自身の「剥製」を観る。曲が進むごとに、オルゴールがゆっくり止まるような命の時間の終わりを予感させる。終わりを見据えて生きる、バンドの、個人の、覚悟のようなものを感じて胸が詰まる。どうしようもないそれらを壮大に脈々と編まれる音で包み込む「アンドロメタモルフォーゼ」、そしてよなかのうたを締めくくる「最終電車」。よなかのうたの全ては、ここで歌われているたった1人のささやかな祈りだったのではないかと錯覚する。
土曜プラトゥリ劇場後編も、オナン・スペルマーメイドスペシャル。もうこれが観られないのか、と訃報を聞いた瞬間よりも思うことがあり、感謝と愛を込めた拍手をした。
「「月世界」」でまだまだ夜は更けていく。ホールの壁にまで映し出された鮮やかなステンドグラスの下で「讃美歌」を聴いた。非常に珍しいことだがドラムがこけ、もう1回!の声に応えた曲が最後に思いもよらない大雨を降らせた。「インサイドアウト」の”誰かの夢の続き残して 夜が朝に変わるの”という歌詞を聴いた瞬間に まひる と よなか の全てが収斂するミクロコスモスに目眩がした。そして「讃美歌」をもう1度演奏する代わりに「メランコリック」で、大量の日差しと大雨が降る。海月たちも身体に刻まれた熱量に手を伸ばし、身体を折り畳む。込み上げてくるのは、途方もない楽しさだった。”急に降り出した深夜の雨でしたね”と笑いながら本編を締め括った。
最後のアンコールで、メンバー1人1人が2023年と今年最後のライブに言葉を綴る。そして年末公演のラストは勿論、嫌なことは全部「リセット」だ。海月たちは殊更自由にこの曲を楽しんでいた。”2024年も枯れない木ですから”。
終わりを観ながら走り続け、憂鬱な晴れ間も救いの雨も、狂い出す昼間も慈愛の夜も、全て枯れない木の根元にある。なんてバンドだろう。この約束をするために、来年もまた同じ場所で会いたい。
告知:V系SFアンソロジー、セカンドアルバム発行!
2024年12月1日開催の文学フリマ東京39にふたたび「V系SFの店」を出店し、『セカンドアルバム(仮称)』をリリースいたします。
詳しくはこれからのニュースレターをお待ちください。
次号では、セカンドアルバムの続報、明日12月29日に武道館で行われるバクチク現象2023のライブレポート、その他の記事をお送りできると思います。ではまた。(終)
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