Vol.2: バクチク現象2023ライブレポート/丘を越えて行こうよ
2ndアルバムの場所へ
皆さま、明けましておめでとうございます。
早速ですが、今回の以下2本の記事をお届けします。
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バクチク現象2023ライブレポート(渡邉清文)
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丘を越えて行こうよ:V系SF 2ndアルバム情報(渡邉清文)
バクチク現象2023 ライブレポート
渡邉清文
バクチク現象
日本武道館 2023年12月29日(金)
Intro.
「さあ、始めようぜ!」
今井寿の掛け声で始まったこの夜のライブは、最高だった。
完璧なセットリストと、演出と、映像と、メンバー全員の肉声が、BUCK-TICKの過去と現在と未来を魅せてくれた。すなわち、櫻井敦司というすばらしい歌い手がいたということ、皆に愛された彼が今はいないということ、そしてBUCK-TICKはこれからも続いていくということ。今、彼らにできる最大限のパフォーマンスで、ファンの気持ちに寄り添いながら、しかしその先の未来へと力強く導いていく、そのようなライブだった。
セットリスト
開幕S.E. THEME OF B-T
本編
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疾風のブレードランナー
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独壇場Beauty -R.I.P.-
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Go-Go B-T TRAIN
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GUSTAVE
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FUTURE SONG -未来が通る-
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Boogie Woogie
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愛しのロック・スター
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さくら
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Lullaby-III
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ROMANCE
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Django!!! -魅惑のジャンゴ-
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太陽とイカロス
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Memento mori
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夢魔 - The Nightmare
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DIABLO
アンコール
(ヤガミトール・ドラムソロ)
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STEPPERS -PARADE-
(メンバーM.C.) -
ユリイカ
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LOVE ME
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COSMOS
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名も無きわたし
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New World
終幕後S.E.
悪の華
1. 本編
ある意味、いつもどおりのBUCK-TICKだった。たいしたM.C.もなく淡々と演奏を続ける、特別な夜だからとゲストを呼んだりしない、『THE DAY QUESTION』や周年記念ライブ同様に「懐メロ」を過度に演奏せずに「今のBUCK-TICK」を演る。
例年の武道館では使われない、ステージを真横から見ることになる北西、北東の一部の席も開放し二階後方の一列を立ち見席にして、それでも客席は当日券なしの満員だ。その空間に、今日のためにアレンジされた「THEME OF B-T」が鳴り響き、ステージ背後のスクリーンに過去の様々なB-Tのロゴを使ったCG映像が流れる中、ヤガミ・トール、樋口豊、星野英彦、今井寿の4人が定位置につく。いつもどおりに。
無論、ただひとつ違うのは、櫻井敦司がいないということだ。
「さあ、始めようせ!」
今井寿の掛け声とともに繊細な電子音のイントロが流れてくる。微かな音色に武道館ぜんたいが反応する。「疾風のブレードランナー」だ。そして櫻井敦司がいるはずの中央には、床からのスポットライトで、天井に向けてまっすぐに白光が伸びていく。その不在のボーカルの歌声に、過去のライブ音源が使われ、今、実際に演奏するメンバーと一緒に歌っているように声が流れる。酸性雨の降るディストピア的な世界の中で、「忘れるな、世界は輝いている」と意思を持って力強く世界を肯定し、「ともに青い春を駆け抜けよう」と語りかけてくるこの曲は「さあ、始めよう」という言葉に相応しい幕開けの曲だ。背後の大きなスクリーンには、舞台上で演奏する4人の姿を捉えた映像が、縦4分割で表示される。ただ、中央に映っているべきボーカルの姿だけが欠けている。
つづく2曲目は「独壇場Beauty -R.I.P.-」だ。ライブでいつも盛り上がるノリのいいロックナンバーは、今井寿が早逝したした友人への手向けとして十数年前に作られた曲である。その思いが、会場の皆が櫻井敦司に向けた思いとなって響く。ここでも、ボーカルの声だけが響き、映像はない。
このまま、声だけなのかと思ってきたころ、3曲目の「Go-Go B-T TRAIN」でついに映像に櫻井敦司の姿が映るようになる。過去のライブ映像で、客席へ向けて歌う姿、カメラに近づいてアップで歌いかけてくる姿。このあとも過去のライブ映像は出てくるが、そこに今ステージ上で演奏するメンバーの姿が重ねられたり、過去映像が武道館公演のものだったりして、まるで、今そこにいるかのような演出の工夫が凝らされていた。
猫の鳴き真似のような今井ギターから始まる4曲目は「GUSTAVE」だ。ここでも櫻井敦司の映像が映される。というか、「みゃーお」と鳴いて見せる姿、四つ足でステージを這って見せる姿、これこそファンが愛してやまない櫻井敦司の一面だ。不在を突きつけてくる演出と、もう一度見たかった愛しい姿を映す演出。この両輪の繰り返しが、このあとも続いていく。
BUCK-TICKは演奏の合間にほとんどM.C.を入れないバンドだが、それでも2曲、3曲やったあたりで、一言くらいは櫻井敦司からの挨拶があるのが通例である。その挨拶を今井寿か誰かが代わっておこなうこともなく、5曲目、6曲目と演奏は続く。
5曲目「FUTURE SONG -未来が通る-」は今井・櫻井共同作詞による、二人の掛け合いで歌われる曲だ。ここで今井と星野がステージの最前列まで出てきて、ギターを奏でる。シュルレアリスムの異常に迫力ある光景から「そこのけ そこのけ 未来が通る」と歌う今井に、「ボニータ 感じるぜ べサメムーチョ Oh!」と櫻井が応えるのだが、この夜は櫻井パートを星野英彦が担当し(櫻井の歌声に被せていた?)、櫻井の映像もなく、はじめての4人だけによる「FUTURE SONG」が披露された。いつもはサビなどのコーラスのみ声を出している星野が、掛け合いとはいえメインボーカルを担当したのは初めてのことだ。今後のBUCK-TICKのあり方の一つの可能性を提示した、まさにFUTURE SONG、未来の歌だ。
一転して、「Boogie Woogie」では再び櫻井が映像で登場する。バンドとして活動を始めたばかりの頃を思い出させる今年の新曲は、今演奏するのに相応しい。どこまでも転がっていく勢いのある曲は、もしかして死の予感が作らせたのでは無いかと、手を振り上げながらも悲しくなってしまう。
さらに7曲目「愛しのロック・スター」でも櫻井敦司のライブ映像が使われるのだが、これは大きな見どころの一つとなった。二枚目のロック・スターを演じる自らの滑稽さを嘲笑うようなこの曲は、今年9月に亡くなったDer Zibet のISSAYをゲスト・ボーカルに迎えているのだが、ステージの上でもふたりの共演で歌われたことがあった。そのステージの貴重な映像が映し出されたのだ。まだ若い頃のライブやTV出演、MVの映像も多数散りばめられたこの曲のスクリーン上には、二度と手に入らない永遠があった。
至福の時から一転して「さくら」では桜月夜のCGが投影されるだけの櫻井不在の世界である。かつて彼が母の死と別離を歌った曲が、「独壇場Beauty」同様に、彼との別離の歌となってしまい、とても切ない。曲の最後にスクリーンの下に小さく影だけの姿で現れるのも、なおさらつらい。彼は、幽玄の世界のむこうへいってしまったのだ。
このへんで本編折り返しなのだけど、とくにM.C.も何もなく、ギターを曲ごとに交換して淡々と演奏が続くのはいつもどおり。DIQでもアルバムツアーでも、観客を飽きさせないように疲れさせないように、バラエティに富んだ曲を緩急つけ、そして意味を与えて並べるセットリストが素晴らしいと思うことが多い。とくにこの日はテーマ「櫻井敦司」の魅せかた、並べ方がほんとうに上手かった。
ここからゴシック、デカダンな曲が3曲続けて演奏される。まずは「Lullaby-III」が映像ありで。享楽的なパーティの一夜を歌う姿に見惚れ、デカダンな夢に溺れていると、最後の言葉「サヨナラ、パーティはおしまい」で舞台が暗転し、暗闇の中で現実に引き戻される。
静寂と暗闇の中、蝋燭を灯した燭台が舞台の中央に現れ、スクリーンにも映される。まるで魔王が再臨したかのような演出。黒子が燭台を舞台の前方まで運び、はじまった曲は「ROMANCE」だった。アルバムツアーでは舞台にクラウンとバレリーナが登場し演劇的な演出が凝らされていたのだが、そのときの映像が映された。純白の衣装をまとう細身のバレリーナの前に跪く姿が懐かしい。
さらに同じようにデカダン路線、19世紀パリを舞台にした刹那的な「Django!!! -魅惑のジャンゴ-」。「Lullaby-III」などと同じタイプの世界観だけど、じつは今井寿の作詞。「君のためのラプソディー」と歌われるこの曲は、トリックスター今井が櫻井の世界観に合わせ、捧げた歌ということになると今さら気がつく。
これら3曲のあとには今年の新曲「太陽とイカロス」だ。もう新曲も新譜も、遠い過去のような気がする。異空ツアーでも使われた映像を背景に、空を翔け太陽の熱で墜死するイカロスを歌い、ひそかに/あからさまに、日の丸の名の下で零戦を駆り特攻していった戦士を歌う曲の、軽やかさ、自由さ、儚さ。これで自由だ、という声を聴く辛さ。
一転して、ドコドコドコドコとドラムが鳴る、原初の生命力に溢れた「memento mori」に客席も盛り上がる。愛と死、出会いと別れの曲、「don’t cry ダイジョーブさ」と歌われる曲は、この日に相応しく、なくてはならない曲の一つだったと思う。いつも客席から腕を突き上げ楽しく声を上げてきた、最後のフレーズ「Remember to die」がシリアスな意味をもって胸に刺さる。でもBUCK-TICKはいつだって、言葉を変え表現を変えmemento moriということを、なんなら、唯それだけを歌ってきたのだ。
ツンドラの大地、大陸を疾駆する「夢魔 - The Nightmare」のイントロが響くと客席は一斉に両手を前に伸ばしていつもの構えを取る。旗が靡く映像はかつてのツアーで使われたもので、郷愁を覚えた。『十三階』ツアー以後も、新譜ツアーのアンコールやDIQで何度も演奏された定番曲。この曲も、二度と生歌で聴くことはない。
そして本編最後は「DIABLO」だった。アルバム『十三階』の最後を飾る歌もの2曲を続けて、メンバーはステージから去っていく。
歌声を聴けば聴くほど、映像でかつての姿を見れば見るほど、櫻井敦司はもういないのだということを突きつけられて、情緒を揺さぶられる15曲だった。その不在の悲しみをもっとも感じているのは、客席の私たちではなく、メンバーの4人であっただろう。イヤモニから聴こえていただろう歌声。しかし、自分たちが演奏するステージのいつもの場所には、誰もいないのだから。それは、アンコールのコメントでも伺えた。
2. アンコール
まずはヤガミ・トールのドラムソロ。演奏が終わり拍手に包まれるなか他のメンバーも揃い、1曲目は「STEPPERS -PARADE-」から始まった。「闇をゆけ」と力強く歌う行進曲が終わると、4人が順番に話し始めた。
ユータが最初から涙声で真面目な挨拶をすると、兄ィが「弟も立派になって」と笑いをとってから、来年は新譜を作ることを伝える。今井と星野の頭の中には何千曲も入っているから、それを吐き出すまでは終わらない、と。ヒデは飄々と「不安だったよね」と優しく語りかけ、パレードは続くと語る。ヒデの声をきちんと聞いたのは、たぶん初めてだ。そして今井は、「笑えねえよ、何死んでんだよ」と悪態をつき、「苦しまないでください」とファンをいたわり、「12月29日はBUCK-TICKにとってハレの日です」といって乾杯する。武道館全体で乾杯する。
(コメント全文を掲載しているWeb記事はあるので、検索して欲しい)
演奏に戻ってまずは、コロナ禍の中に明るい光を投げかけた「ユリイカ」から。LOVE! の大合唱から、最後のピースサインで悲しみを吹き飛ばす。
「自分を愛してください」と櫻井さんが優しく語りかけて始まる「LOVE ME」は、兄ィが他の曲を演ろうとしたのか、出だしを間違え、さらに機材トラブルでぐだぐだになってしまうのだが、客席全体で手を振り、ラ、ラ、ラと歌って一体感でもりあげる。
つづく「COSMOS」も、いつものように優しい歌声の合唱が響く。どの曲もアンコールの最後に演ってきたような曲の連発。
とどめは「名も無わたし」だ。最新が最高のBUCK-TICKに相応しい。
ここで4人が引き上げるが、まだ照明はつかない。もう一回アンコールがあるのは嬉しいけれど、もうこの後にできるような曲が思いつかない。と思っていたら、最後の最後は、「New World」が残っていた。
まばゆい世界 君の世界 無限の闇 切り裂いてゆけ
悲しみと、祝祭感、多幸感の入り混じった感情
Outro.
すべての演奏が終わり、メンバーが引き上げた後には、いつもの武道館のように来年の予告の時間だ。THEME OF B-Tが鳴り響く。デビュー当時からの様々な映像のコラージュが延々と流れ、今までのBUCK-TICKの余韻に浸っていると最後に”2024.12.29 武道館”の告知。BUCK-TICKにとってハレの日、一年後の12月29日再会を約束して、『バクチク現象2023』は幕を閉じた。
灯がともり、私たちが会場を出る時間に流してくれるBGMは「悪の華」だった。1989年12月29日、東京ドームの『バクチク現象』で披露された、今となっては「初期」のBUCK-TICKの、代表曲だ。個人的には「悪の華」でハマり、VHSに録画したMVを何度も何度も見返した思い出もあり、感無量。この第2期『バクチク現象』以後の30数年を経て、BUCK-TICKは「新『バクチク現象』以後」の時代に入った。
新曲、新譜がどのようなものになるのか、まだ何も分からない。常に「最新の曲が最高傑作」とメンバーもファンも信じて、実際に更新し続けてきたのがBUCK-TICKである。続けると言ってくれた以上、何かスゴイものを聴かせてくれるだろうという期待だけがある。
最大の関心事が「ボーカルはどうなるのか?」なのは確かだが、音楽的な変貌についても、何を歌うのかについても興味は尽きない。ボーカル・櫻井敦司がいない、作詞家・櫻井敦司がいない、そこで「歌ものロックバンド」でやってきたBUCK-TICKが、新曲を聴かせてくれるのだ。白紙だからこそ、楽しみだ。
「BUCK-TICKはこれからも5人です」と言ってくれたのだから、新たなボーカルを入れるという線は全くないのだろうな、と思う。誰がやっても櫻井敦司の代わりはできないので、だからこそ、誰かを入れてもいいのではとも考えていたのだけど、そういうバンドではないのだ。違うメンバーを入れて組むというのは、今井さんの中ではSCHAFTやLucyのような別プロジェクトでやること、なんだろうと思う。
コロナ禍のなかで希望を歌い、瑞々しく変貌を遂げた『ABRACADABRA』、現在の世界と日本に蔓延する、戦争や差別という現実の負の側面から目を逸らさず歌った『異空 -IZORA-』、櫻井敦司の喪失、その先にBUCK-TICKは進み始めた。
丘を越えて行こうよ:V系SF 2ndアルバム情報
BUCK-TICKは活動の継続を宣言しました。さて、……と繋げるのはどうかと思うけど。
V系SFの店も新刊を出します。2024年12月1日開催の文学フリマ東京39にふたたび「V系SFの店」を出店し、V系SFアンソロジー『セカンドアルバム(仮称)』をリリースいたします。ファーストアルバム『漆黒の熱量』では特にテーマを定めず「V系音楽をモチーフとしたSF」という縛りで作品を募集いたしました。次のセカンドアルバムは、具体的にテーマを絞ったアンソロジーとなります。
テーマは『丘』です。
おしえてよ 魔法のような幸せはどこ? 僕はまた眠って
目覚めたら願いが叶って おかしくなれて
絶望の丘で立ちつくす
V系バンドの楽曲には、共通の美意識ゆえか歌詞の中にバンドを超えて頻出する単語が見受けられ、何故かよく舞台となる土地が存在します。いや、迂遠な説明は省略しましょう。
テーマは「丘」です。「丘戦争」、「三大丘」の「丘」です。
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「アクロの丘」DIR EN GREY
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「メギドの丘」PIERROT
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「絶望の丘」Plastic Tree
これらヴィジュアル系三大丘と称される楽曲に代表される、「丘」をタイトルに持つ曲、歌詞で歌われる曲をモチーフにしたSFアンソロジーを製作します。例によって「広義のV系音楽」と称する範囲は広く、洋楽でも、David Bowie「Up the Hill Backwards」やBAUHAUS「Hollow Hills」のように丘=Hillをタイトルにもつ曲があるし、何が書かれるかはお楽しみ。
そしてもちろん、SFにおいても、丘は重要な舞台装置のひとつです。
――何と引き換えに目にする
漆黒の闇の彼方
地球の緑の丘を……
『大宇宙の魔女』所収
『大宇宙の魔女』でC・L・ムーアが歌い、のちにロバート・A・ハインラインが放浪詩人ライスリングの詩として著した「地球の緑の丘」は、あまりにも有名です。もしかしたら第三、第四の「地球の緑の丘」が書かれるかもしれません。
前回同様に、小説だけでなく、さまざまな表現が集まったものにしたいと考えています。
このニュースレター『V系SF通信』の執筆メンバーを中心に企画を進めていますが、興味のある方、参加を希望される方は、X(Twitter): @visualsf2023 のDMまでご連絡ください。
(以上)
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